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青い朝の妄想〔5917〕2019/06/28

2019年6月28日(金)晴れ!

昨日の雨風、どうだったでしょう。あるお客様の業者会研修会がありまして、講師の先生が午前中の飛行機でやってくる予定になってたので、どきどきしました。午前中、ANAの羽田高知便は、高知空港上空まで飛んできたものの、着陸できず、羽田へ引き返し。でも、その講師の先生が乗ったJAL機は無事、高知空港へ着陸。研修会、予定通り開催することできました。

防災の、とても勉強になるお話。家でも会社でも実践しないと意味がない、と思ってます。そんな良い研修会でした。

 

で、昨夜はまだ雨が降ってたので走って帰宅。雨中RUNが大好きだから。で、今朝は自転車での出勤となりました。今朝は雨も上って美しい空が広がってます。今朝、4:30頃の絶海池。たるみ池。そして介良三山と言われる鉢伏山、霧のかかった介良富士、高天原山が右から順番に行儀よく並んでる風景。青い朝。

高知市市街地に近いけど、見事な田んぼがきれい。

 

絶海池。たるみ池、と読む。以前にも書いたことあるけど、南北朝期から室町初期にかけて活躍した禅僧、絶海中津さんに由来するという絶海池。

でも、絶海池はたるみ池と読むけど、絶海中津はぜっかいちゅうしん。義堂周信と並んで、五山文学双璧と称えられる絶海中津は、こないだ少し書いた夢窓疎石の弟子。夢窓疎石没後、寂れていた吸江庵を再興したのも、絶海中津さんといわれてます。

で、五台山の、青柳橋近くに「絶海中津座禅の岩」とされる岩があって、標柱が建てられてます。絶海中津さんが座禅修行したのにちなんで、この池が絶海池になった、という話。

 

でもね。以前、それは逆の可能性はないのか?という考察をしたこと、あります。つまり、ここが絶海池だったから、その前で修行したから、絶海という道号をつけた、という可能性はどうなのか、という話。

 

そもそもこの池が絶海池になったのはいつからなのか。手元に何の資料もないので、わからん。わかりません。そんな無責任なことではイカんと思い、いつもの地理院地図を見てみました。

今は、こう。絶海池と書いてたるみ池。航空写真はこうで、確かに浦戸湾と堤防で区切られ、海とは断絶してます。1960年代の航空写真を見てみよう。その頃から、断絶させられてます。単写真になるけど、戦後間も無くの1947年の航空写真を見ても、やはり堤防で、浦戸湾と池は断絶。

 

そもそも、この絶海池は淡水なのか。汽水なのか。海水なのか。淡水みたいな気がします。

そうだとするとだ。

戦前から、この向こうに広がる田んぼは湿田だった。その湿田に海水が混じり込んだらいかん、ということで、この堤防で浦戸湾と遮断した、ということも、考えられる。地形を見てると、中世の頃からこの池が堤防で海と隔てられてたとは、ちょっと考えられませんよね。だから、上に書いた「逆の可能性」というのは妄想に過ぎない、ということが、今朝の考察からわかってきたではないか。退屈ですか?

 

まあ、続けると、湿田に海水が混じらないように海と断絶させる堤防を構築する。それによってできた池は、海と断絶、という意味と、昔その場所で修行をしたという絶海中津さんの道号、絶海とをダブらせて、絶海池にしよう、となった。という新しい妄想はいかがだろうか。

それだと、なぜ、ぜっかい池ではなくてたるみ池になったのか、という謎は残るけど、それはそれ。

 

青い朝は、妄想が走る。


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