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青果物と水産物と牛乳〔5606〕2018/08/21

2018年8月21日(火)今は晴れてます

台風が二つ。今はまだ晴れている高知市内。意外に静かな朝を迎えてます。

ここは今朝、5時頃の弘化台。高知市中央卸売市場前。早朝から、たくさんのトラックが出入りする高知の台所。こないだ、場内の様子をご紹介しました。

昭和5年に、全国で二番目という早さで、九反田に開設された高知市中央卸売市場。最初は、魚介類を扱う水産物の市場として始まりました。そして翌年、昭和6年に青果部ができ、昭和8年に塩干部が開設。

 

ここ弘化台に移ってきたのは昭和42年のこと。それからは、ずうっとここで頑張っている、市場。しかし、水産部は、その取扱量が減少して基準を満たさなくなったので「中央卸売市場」ではなくなり、「公設地方卸売市場」になってしまった。平成26年のこと。

 

魚介類の市場起源は、九反田の近くの雑喉場。こないだ、書きました。土佐藩主によって公設され、独占的に生魚の取引が行われた雑喉場。問屋と仲買人が丁々発止のやりとりを行うのは、規模こそ違え、日本橋の魚河岸と同じ仕組みであったでしょう。

仲買人は、雑喉場で競り落とした生魚を、城下の料理屋や、魚の小売業者へと卸す。城下で魚の小売が許されたのは、下町の魚の棚と、上町の魚の棚。商売は、公的役割負担と特権という飴と鞭によって管理されていたので、その販売場所や販売の権利もかなり制限されていた訳だ。小さな政府、江戸時代の行政の、よくできた仕組み。

 

江戸時代の、魚介類の市場の仕組みは、まあ、わかる。では、青果物はどのように取引されてたのか。城下の地名で、ヒントとなるのが菜園場と八百屋町でしょうか。

菜園場は、その隣の農人町と同じで、藩主の菜園、畑があったことに由来する地名。市場では、ないね。八百屋町は、魚の棚と同じで、小売。野菜や乾物の小売商が軒を並べたので、八百屋町。

青果物は、生魚のような市場流通が行われてなかったのかも知れません。いや、これは専門家ではないので間違うちゅうかも知れんけど。でも、確かに、青果物の流通は、生産者と小売の距離が近かったような感じ。それは、生魚ほど、大量の商品を迅速に流通させる必要がなかったからかも知れない。皆、そこそこ自分ちで作ったりしてたし。

 

でも、近代になって、青果物も広域迅速が必要となり、物量も増えて、水産物に習った市場流通の仕組みができあがってきた、と言える。かどうかは、知りません。

 

ところで高知市中央卸売市場のホームページを見てみると、水産物と青果物の、この10年の取扱高が表とグラフになってました。

なるほど。水産物は、この10年で物量が半減してます。金額では、4割減。少し価格が上がっているからか。青果物を見ると、物量では15%落ちているけど金額にすると5%増えているではないか。高知の市場では、このような構造変化が起きていました。かつて、取扱高は水産部の方が多かったのに。

 

市場離れが進んでいる、などと漠然と言われてますが、実態をキチンと見てみると、こう。このグラフを見ながら、これからの高知の将来を考えていきましょう。

それにしても。生鮮食料品の価格、長いトレンドで見るとかなり上がっているんですな。牛乳は、ここ数十年の長いトレンドで見ると販売価格が下がっているというのに。業界的には、これは、なんとかせんといかん問題だ、と、思いました。


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