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台風のち晴れ〔5310〕2017/10/29

2017年10月29日(日)台風のち晴れ

今日は高知。昨日の午後の飛行機でモンて来ました。その時点で、羽田那覇便とか羽田奄美大島便とかは台風の影響で欠航になってましたが、高知便は全然平気。でも、今日だったら無理でした。今日の高知は朝から台風。明け方から少しづつ風雨が激しくなってきた、高知市内。

とにかく、先週の台風21号の被害が大きかったので、またか、という感じ。あの強風で吹き飛ばされた屋根やハウスの後始末、修理が済んでない状況。酪農家さんでも、牛舎や堆肥舎などが被害を受けている方がいらっしゃいます。そこに台風は、ちょっと、キツい。とにかく、静かに素早く通り過ぎて行ってくれることを祈るばかりでした。

 

台風一過の鏡川。

ご承知の通り、この川に鏡川という名前をつけたのは土佐藩5代藩主の山内豊房さんだ。潮江川と呼ばれるのが普通だった、この界隈。上流に行くと雁切川。それをひっくるめて鏡川。

河口の汽水域は、満潮時間ともなると広い静かな静かな水面となり、それこそ鏡のよう。だから鏡川。今日のようなお天気だと、とても鏡にはなりませんが。

で、その鏡川(潮江川)と江ノ口川(大川)に挟まれた中洲のような場所に城下町を建設したのが山内一豊さん。治水土木の専門家だ。土佐藩の発展を考えた時、その中心となるべきはその中洲しかない、と直感したのでありましょう。広い平地。外界につながる良港と水運。いざというときの防御性能。大きな人口を支える生産力も、近在に必要であった。

難点は、治水だけだ。でも、戦国期に土木の専門知識を実体験として見につけていた一豊さんは、なんとかできる自信があったのでありましょう。

家康は、日本史における最大最高の土木プランナーであった。これはもう、幾度も書いてきました。間違いない。その家康から土佐を任された山内一豊という人物も、なかなかの土木プランナーであった。そして二代藩主忠義のときに活躍する野中兼山。

この二人が考え実行したプランが、今の高知をかたちづくっている。

中洲の山、大高坂山に築いた城は、川に挟まれた城なので「河中山城」と呼んだ。こうちやまじょう。でも、いくら優秀な土木プランナーが考えた城下町でも、強烈な土佐の雨には悩まされることになる。で、五台山のお坊さんが「河中山城」という漢字を「高智山城」に変えることを提案し、それが現在の高知県、高知市になったという話、ブラタモリでもやったんですけど、本番ではその部分は放送されてませんでしたね。高知県人は喜んだと思う話なんですけど。まあ、全国向けなので仕方ないですね。

 

こうやって台風がくると、浸水などを心配します。鏡川が氾濫したら大変なこと。

高知は凄まじい雨量の台風を幾度も経験してきたので、かなり、大雨には強い都市となりました。

でも、風は、別。

今回、雨はたいしたことなかったけど、風。先週ほどではなかったけど、吹きました。被害のあとの台風なので、心配です。

 

台風一過の青空が広がってきた鏡川。被害の少からんことを祈る鏡川。


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