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秦山の南の海岸線〔4848〕2016/07/24

2016年7月24日(日)薄曇り

最近の暑さに比べたら、少しだけ涼しい感じの日曜日。空には雲。クマゼミがワシャワシャ。

秦山。
平成12年に施行された高知市里山保全条例で、平成13年9月1日付で。里山保全地区にしていされた、秦山。同時に指定されたのは、葛島でした。
この、右手に見えるのが秦山。

昨日のにっこりに書きましたが、かつて、江戸時代の里山は、燃料源としてはもちろん、草肥の供給源として利用された為、下から見上げると現在の高見山のような風景であったと思われます。
現在のような鬱蒼とした里山ではなかった。
で、村の共有財産となり、厳しい規定の中で管理されていた、里山。
そんな草肥供給源の共有管理山と別に、墓山もあったのでしょう。

高知市には、集中的に古いお墓が並ぶ山が、いくつかある。
筆山や、昨日の高見山が典型的。その他、小高坂の山や、薊野の北の山などなど。
この秦山もそう。登ってみると、藩政期初期の年号の刻まれた墓石など、たくさんの古いお墓が並ぶ、山だ。立派なお侍さんの墓所もあるので、藩政期になって、そういった墓所として指定されたのでありましょうか。

山の南は、久万川沿いの湿地帯。
ここで地理院地図を見てみよう。これだ。地理院地図、情報リストの土地条件図。オレンジ色の部分が洪積台地で、黄土色の部分は扇状地。扇状地の標高は5m〜7mくらい。その南の、水色の部分は海岸平野・三角州。つまり、過去の海底が陸化した、土地。そこの現在の標高は2mくらい。盛り土で高くなりました。

こうやって土地条件図を見れば、古代のこの界隈が、どんな風景であったのか、わかる。
水色の部分は、海。

弥生時代、古墳時代、飛鳥時代から奈良時代、平安時代は、ここが海岸線でした。写真右手、車が通っているのが海岸で、左手の、下がったところが、海。山裾の海岸線。愛宕山の北側の、標高6m〜7mの扇状地には、秦泉寺という古代寺院があったでしょう。こないだも発掘調査があり、7世紀の遺物がかなり出土しました。海際の、大きな寺院。その周辺は都市になっちょったでしょうか。
そこが都市であったとすれば、秦山の西側の黄土色の扇状地も魅力的だとは思いませんか?
東久万界隈。そこにも、紛れもなく、人々の営みがあった。

久満庄という荘園が成立したのはいつの頃だったのか。今、手元に資料がないので正確なところはわかりませんが、この水色部分が海、もしくは湿地帯であった時代であるのは、間違いない。
そんな時代に、微高地であり、地盤も硬い扇状地が荘園として開発されていった。

海や湿地帯は、徐々に堆積した土砂で陸地化し、今の高知平野ができあがっていく。
藩政期後期には、もう、今の風景とはそんなにかわらない陸地ができあがってきていたのかも知れません。

この地理院地図では、旧河道を見ることも、できる。
久万川。久万川は、戦後になって、まっすぐ流れる川に改修されています。それ以前は、もっと蛇行する川でした。
現在の四国銀行愛宕支店のところから北西にカーブする水路。あれは、久万川が北へ蛇行していた、そんな時代の痕跡。
海が湿地帯になり、陸地になっていく過程で、その微妙な地形の起伏に合わせて蛇行する川が、できた。
そして、陸地が広がり、農地や街が形成されていくなかで、治水の為、川を直線にする事業が行われ、現在の久万川と、なった。地理院地図で、北に蛇行する旧河道を確認することも、できる。

地理院地図は、過去の風景を想像させてくれる。
この地図を眺めるだけで、太古の昔にトリップできます。僕には、できます。皆さんはいかがですか?


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