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素淮書、揮毫の意味〔4781〕2016/05/18

2016年5月18日(水)晴れ!

良いお天気。昨日、日本晴れという表現を使いましたが、日本晴れは、雲ひとつない快晴のことを言いますよね。だとすれば、今朝は少しだけ、薄い雲が散見されるので、日本晴れでは、ない。日本晴れは、もっと真っ晴れだ。

ところで。日本という国号は、7世紀後半、つまり、大化の改新の後、律令制度が導入される時期に、使われ始めた、と言います。日本書紀に「日本」とあるくらいですき、間違いない。

で、Japan。現在の中国語で日本を読んでみると「ズーベン」みたいな発音。う~ん、表現が難しい。まあ、そんな感じ。
大昔、そんな感じの発音が外国人からヨーロッパに伝わり、いつしかJapanになったのでしょうか。知りませんが。

昭和初期、その、日本の英語表記、つまり、外交文書とかに国号を表示するのに、JapanでなくてNipponにしようという動きもあったと聞きます。なるほどね。そんな時代だ。

国号といえば中国。
中国を、今でも支那と呼ぶヒトが居ます。日本政府は、昭和5年まで、条約や国書を除いて、中国を「支那」と呼ぶという閣議決定をしちょったそうだ。これを中国の皆さんがどう感じておったかと言えば、「不快」。侮蔑的なニュアンスを感じておったようです。なので、文書に「支那」を使うのを「無礼」とし、「中華民国」を使うように求めておりました。
国と国の関係がどうあれ、相手が嫌がる国の呼称を使うのはいただけません。なんか、人として、下品だ。相手の立場だったらどう思うか。想像力の問題。

で、昭和5年10月の閣議決定で、中国の呼称を「中華民国」にするようにした。時の総理大臣は濱口雄幸。さすがやね。国際協調を、軍部の抵抗や、マスコミに煽られる民衆の反対を押し切って進めようとした、濱口雄幸さん。生まれは五台山の南、唐谷
金解禁と緊縮財政が失政であった、という評価がかつては有ったが、今は、評価が見直され、日本史上でも、とても良い首相であったとされる濱口雄幸さん。
こんな時代だからこそ、濱口雄幸さんの矜持を、今一度見習いたいものです。

評価が高い首相と言えば吉田茂さん。
外交官として、親独路線に傾く軍部や政府に抵抗、戦争中も新英米を貫いた矜持の人。戦後の舵取りは、もう、この人しか居なかった。マスコミの動きや大衆に迎合しない、矜持の人、という点では、濱口雄幸さんに共通するものがある、吉田茂。

その吉田茂さんは「素淮」という号を用いた。もちろんこれは、吉田茂さんのイニシャルS.Y.からきちゅう訳で、「そわい」と読む。
その「素淮」の揮毫を、野市の、水野吉太郎さんの顕彰碑でみつけたのは、2013年5月1日のことでした。
水野吉太郎と言えば、伊藤博文暗殺事件を起こした安重根の裁判で、安重根の国選弁護人をつとめた人物だ。野市、富家村出身。その、安重根の、国を思う心に打たれ、信念に打たれた水野さんは、日露戦争に勝って「一等国」になったと浮かれ、朝鮮蔑視を当たり前とする世相の中で、安重根さんの人物を尊重し、親身になって弁護をした、と言います。
逆の立場だったら、どう感じ、どう思うか。想像力の問題。

ここ、野市富家の、消防の屯所にある水野吉太郎顕彰碑の揮毫は吉田茂さんで、「素淮書」と刻まれているのは、意義深いことだと、思う。

世の中の空気に流されず、国際関係をキチンと理解し、相手の立場にたってみてみる想像力を持つ。
濱口雄幸さんも吉田茂さんも、そんな外交感覚を身につけていた。そして空気に流されない矜持を身につけていた。

今、政治家に必要なのは何なのか。この「素淮」の揮毫は、そんなことを我々に教えてくれるのかも知れない。


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