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岩原と瀬戸内海〔4747〕2016/04/14

2016年4月14日(木)薄曇り

今日は、仕事で岡山へ。
朝の5時に出勤して一仕事片付け、6:40に車で会社を出発。国道32号線を走って坂出へ。坂出からマリンライナーに乗って岡山へ向かいよります。今は、マリンライナー車内。美しい瀬戸内海を眺めながら、このにっこりを書きゆうところです。

写真は、国道32号線、岩原界隈。国道から、対岸の岩原の集落を撮影してみました。高知と徳島の県境近く。土佐岩原駅は、土讃線の、高知県最後の駅となります。土佐岩原駅の次は県境を越えて大歩危駅。
険しい険しい四国山中。その山中の岩原は、古い古い集落。こないだ、県境の「そば茶屋」さんをご紹介しましたが、あのお店を切り盛りする元気なおばあちゃんも、岩原の出身。下村さん。

岩原の下村家は、藤原純友の一族の末裔とされます。以前にも書きましたね。
藤原純友と言えば承平天慶の乱。平将門が関東で、藤原純友が瀬戸内海で、朝廷に反旗を翻した古代の大事件。将門は、王権をも狙っていたという話もあります。
で、その大乱が鎮圧されたのが941年。今から1,000年以上も、前。
将門の乱は、割合にシュッと鎮圧されたのですが、純友は2年間、瀬戸内海で暴れまわります。最後は、討ち取られたとも言いますし、南海の彼方へ消息を絶った、というロマン溢れる伝承もある。

で、その乱後、四国の山中へ逃げ伸びた純友の一族が、最終的にたどり着いたのが、岩原と言います。どんなルートを通って逃げてきたのか。
一族が住み着いたのは、この写真の、家々の建つ山の向こう側。霧がかかる山中。そしてその末裔が下村一族で、弊社総務部長であったり、「そば茶屋」のおばあちゃんであったりする訳だ。
下村さんちは、今も、その、吉野川沿いからは見えない、山の向こうにあります。なんでも、追っ手の目をかわすため、そんな隠れ里のようなところに住み着いたのだとか。

そこは、人目につかない、しかし、水が豊かで畑作をするのに適した土地であった。
その、純友の一族が住み着いて暮らすうち、岩原神社の宮司さんを務める岡崎一族が住み着き、そして源平合戦を逃れた平家の落人もやってきて森下一族として住み着いた。そんな歴史がある、岩原。

あの、幽玄な、靄立ち込める山中。藤原純友一族の末裔や、平家の落人。

以前、貴種流離譚などと書きましたが、そうではないですよね。貴種流離譚という言葉は、かの折口信夫先生が、日本の物語文学の原型の一つとして論じた「型」。
しかし、四国山中などには、実際に、平家の落人などの貴種が流離してきちょります。その末裔は、いつまでも、その出自を大切にするでしょうし、子々孫々伝えていくことに、なる。土佐の山中に、平家落人の伝説がある集落は、あちらこちらに所在します。
しかし、10世紀まで遡る、藤原純友一族末裔の伝説が残るのは、ここくらいではないでしょうか。

マリンライナーの車窓には美しい瀬戸内海。晴れてきました。
この穏やかに見える海を舞台に、時の政権を脅かすほどの勢威を誇った純友の水軍が暴れまわった。
また、平安末期に瀬戸内海の制海権を握ったのは平家。源平合戦の中で、屋島から壇ノ浦へと転戦し、源氏に敗北した、平家。

美しい瀬戸内海で繰り広げられた、その二つの騒乱の関係者末裔が、この写真の、靄立ち込める山中に住み着き、今も営々と子孫が暮らしている。そんな、日本という国。


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