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直角カーブから見た岡御殿〔4518〕2015/08/29

2015年8月29日(土)薄曇り

時折お日様も顔を覗かせますが、雲の多い土曜日。子供達にとっては夏休み最後の土日で、宿題が完成するかどうかの瀬戸際感溢れる時期。あの焦りと寂しさの入り混じった切迫感、懐かしいですよね~。

今日は田野へ来ちょります。高知県安芸郡田野町。ここの町立図書館はなかなか素敵な場所で、書き仕事をしたり思慮したりするのに最適。で、よく利用させてもらいます。
図書館が充実しちゅうことからもわかるように、田野は文教の町として栄えた歴史があります。
現在、中芸高校がある場所。あそこには、藩政期、安芸郡の郡奉行所がありました。で、その奉行所に併設してつくられちょったのが、田野学館。文武両道を極める学校、田野学館。
幕末の頃、野根山事件、田野二十三士の中心人物として有名な清岡道之助、治之助は、田野学館で教鞭をとりました。
田舎の学校であるのに、高島秋帆門人の田所左右次が様式砲術を教授したこともあると言いますき、たいしたもんだ。

その田野学館出身者には、中岡慎太郎、石田栄吉、仙石貢などなど。中岡慎太郎は、北川から、毎日山越えの道を遥々歩いて通っておったとも言います。

幕末から明治に活躍する人物を輩出した土地には、必ずと言うて良いほど、優れた教育施設がありました。佐川の名教館、宿毛の日新館、そして田野の田野学館などなど。教育の大切さがよくわかる。

そんな田野。田野は、藩政期になって急速に発展した町。
現在の町の中心部界隈は、ほとんど人家も無い砂浜で、葦の茂った入江や荒地であった、と言います。
漁業と塩焼き、それに僅かばかりの畑。そんな小さい村、田野。

藩政期に入り、魚梁瀬山の材木が、重要資源として注目されるようになって、ビックリするようなスピードで市街化が進んだ田野。藩の御用商人が活躍し、経済活動が活性化。
天和三年(1683年)、土佐藩の藩内に、10反帆以上の大型廻船は95艘でありました。その内、何と、39艘が田野浦所属。安田、奈半利を合わせると58艘。土佐藩全体95艘のうちですきんね。
もう、土佐藩の経済の中心を担うちょったのがこの界隈というこは、この数字からも明らか。で、豪商も出現したんでありますね。
そんな経済基盤ができあがり、郡奉行所が置かれるようになり、その経済基盤を礎にして教育が栄えた。そして有為な人物が育ち、日本を変えるような人物が輩出された、という訳だ。

豪商の中でも頭一つ抜け出しちょったのが、米屋。岡氏という、米、材木、薪、運送、酒造製塩などで栄えた豪商の筆頭。屋号が米屋。
その屋敷の敷地内に、藩主の参勤交代用の宿泊所が建てられ、その建物は現在でも「岡御殿」として拝観できるようになっちゅうのであります。
参勤交代の際に泊まる為だけに建てられた家。なんという贅沢。それっぱあ、藩の庇護のもとに儲けておったのでありましょうか。

藩主の宿泊所となると、なかなか警備も厳重。
写真は、岡御殿を、西側の角から撮影したもの。
岡御殿の前後は、町筋が、一定間隔で直角に曲げられちゅうと言います。この角は、そんな風につくられた直角の角でしょうか。確かに道はここで直角カーブだ。
賊や敵が攻めてきても、直角路に阻まれて突進できない。見通しがきかないので、攻めにくい、ということやと思われます。
藩主が泊まるとなると、街づくり、都市計画にも影響を及ぼしたんでありますな。街もなかなか大変だ。

田野の繁栄と安定。
平凡社刊の「高知県の地名」によりますれば、田野には火事の記録がほとんど無い、とのこと。延享二年(1745年)に、東町で、14戸焼けたのが近世唯一の記録、となっちょります。すごい。そんなこともあるんだ。この火事の少なさが、田野浦の安定した繁栄を支えた、という説もあるそうです。

災害では、津波、高潮、奈半利川の氾濫。特に奈半利川の氾濫には悩まされたようで、小生の曽祖父が村長代理の時に行った奈半利川護岸工事の、堤防の石垣は、今も見ることができます。

田野の町の雰囲気は、お隣の安田や奈半利と、少し違う感じがします。古い文教の町、田野。


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