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江戸の都市計画堪能ラン〔4514〕2015/08/25

2015年8月25日(火)東京はおだやか、涼しい

今朝は東京。本当は、今朝の飛行機で来る予定でした。お昼から業界の重要な会議なので。
しかし台風15号がやって来まして、小生が飛行機に乗る時間帯界隈が一番やばそう、という訳で、昨夜の最終便に変更して、やって来たのであります。正解。
夜のうちに、小生が搭乗する予定やった飛行機は欠航が決定しました。そんな訳で、ビックリするくらい涼しくなった、穏やかな東京の朝を過ごしております。

いや、こないだ来て走った時とは大違い。涼しく、走りやすい朝でした。
泊まっておったのは蔵前。今朝はそこからまっすぐ西進。JR御徒町駅前を過ぎ、湯島天神前の坂道を駆け上がって本郷へ。いや〜、久々の地形堪能ラン12km。地形を足で確認し、その成り立ちに想いを馳せる。なんと贅沢なランでしょう。そう思いませんか?

ご存知の通り、江戸は、洪積世に形成された広大な武蔵野台地と、その後の土砂の堆積によってできた平野の上、そして埋め立てた土地につくられました。江戸城を最初につくったのはご存知太田道灌。
武蔵野台地東端の、舌状に東へ張り出したたくさんの台地。その中の一つ、淀橋台の先っぽにつくられたのが江戸城。
徳川家康は、この、丘と谷と平野によって形成される複雑な地形の場所に、江戸の街をつくっていったのでありました。

基本的な考え方。
台地の上の尾根筋に幹線道路を通す。で、その道路沿いには武家や社寺などの建物。谷へ下っていく斜面にはその武家屋敷などの庭。そして、谷には庶民が長屋をひしめき合わせながら住んでいた。それが江戸の基本的構図。今も、そんな江戸の都市の構造、いろんな場所に残っております。
典型的なのがここ。
本郷通り。旧中山道。
北西から南東に伸びる舌状の洪積台地、本郷台の尾根筋に幹線道路。それに面して有力な武家屋敷。
この左手、ちょっとだけ写っちゅうのが東大の赤門。そう。加賀前田藩の上屋敷の門で、それが今も残っておる。東大の敷地は加賀前田家の屋敷で、三四郎池は前田さんちの庭の池。斜面となり、上野の不忍池の谷の方へと下っていっております。

今も、御徒町から湯島天神前の坂道を駆け上がっていくと、雰囲気が突然変わるので驚きます。猥雑な御徒町、谷底平野から坂道を登ると丘の上、東大のある文京エリア。これは、藩政期から続く基本構造なんでありますな。

右手の道路のとっと向こう。この写真ではわからんのが悲しいですが、一旦下って、そしてまた上る、アップダウンの道。
その低いところには、かつて、加賀藩邸から流れてきた川があり、橋が架かっておったそうな。
太田道灌の時代、罪人は、そこから北へと追放になり、家族はそこで永久の別れをした、とか。なので、その橋は「別れの橋」で、こちら側が見返り坂、向こう側が見送り坂、と呼ばれた、と、道端の説明板に書いちゃありました。
太田道灌の頃から、この尾根筋の道は、江戸の外へと向かう幹線道路であったのでありましょう。

さて。
ここから中山道を上って南下しますと、右手に湯島聖堂、左手に神田明神。
そうか。そこは本郷台の先っぽ。南側は斜面で、神田川の谷底平地の方へと下っている。台地の先っぽ。そんな場所に、重要な寺院や神社がつくられる傾向があるのは、何度も書いてきましたが、湯島聖堂も神田明神もそうやったのか。
そう言えば銭形平次は神田明神下の長屋に住んじょりましたっけ。何故、神田明神「下」と言うのか気にもしちょりませんでしたが、台地の上に神田明神があり、そっから下った下のところに平次親分が住んじょった、ということが、今朝、わかりました。勉強になりますな〜。

今朝はそのまま日本橋、銀座、築地と走って、「江戸川」の「深川丼」を食べ、深大寺そばも食べてから、ホテルへモンて来ました。

東京。どこをどう走っても、興味が尽きない。明日はどこを走ろうか。


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