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白く霞む夏の風景〔4109〕2014/07/16

白く霞む夏の風景

2014年7月16日(水)曇り

しかし蒸せます。昨夜も扇風機つけっぱなし。クーラーつけっぱなしは身体にこじゃんとコタいますが、扇風機は大丈夫。それでも朝起きたら汗でベトベト。シャワーを浴びてからの出勤になります。
しかし今日も朝っぱらから蒸せる蒸せる。気温が高い上に、水蒸気が地上に満ちて、身体を押し包んでくるこの感じ。なんとも言えません。今日も一日頑張って参りましょう!

さて。
ここは今朝5時の野市、上岡八幡宮さん。境内の参道から南東方面を撮影してみました。この写真には、実にたくさんの重要な情報が隠されちょりますね〜。

一番手前の鳥居。嘉永四年にご寄進された鳥居ですが、左右の柱の石材と、上部の島木、笠木、貫の部分の石材の材質が違う。これは、太平洋戦争末期の米軍機の攻撃で破壊されたもの。元の笠木、島木は、この右手の境内隅に、そのまま転がされて残っちょります。
鳥居の下、ずっと向こう。今は道でもなくなった旧参道をまっすぐ行くと、幟旗が二本。そう。氏子さんがご寄進した上岡八幡宮さんの幟旗。あれが立てられたということは、夏祭りが近いことを意味します。もうまあ夏祭り。昔は、こないだご紹介した土俵で奉納相撲を行われよったであろう、夏祭り。

あの幟旗の立つ場所にも、太平洋戦争の痕跡が。あそこにも、嘉永年間、この手前の鳥居と同じ鳥居が立てられたと思われます。あの鳥居も、太平洋戦争末期の米軍機の攻撃によって破壊、今は脚の部分だけが残り、残骸が放置されちょります。戦争のことを忘れないため、わざと、そこにそのまま残してある、とのこと。畑の中に、そんな痕跡が残されちゅうことは、メッソ知られちゃあしません。

あの幟旗が立つ土地は、物部川の沖積平野。この境内の土地から数メートル下に下がります。こちら側の上の段は、野市の洪積台地で、河岸段丘を形成しちょります。数万年前までに形成された固い地盤の洪積台地を物部川が浸食し、その氾濫原に上流から運ばれてきた土砂が堆積して沖積平野ができました。日本の平野は、そんな場所が多い。地盤が緩く、水はけが悪い沖積平野。過去、何度も何度も水害に遭い、津波にも洗われてきた沖積平野が、その向こうに広がります。
こちら側の台地の上まで津波が襲うてきたことは、有史以来、ないかも知れません。宝永南海地震津波でも、たぶん、ここまで。台地の上の海抜は16mあります。
ただ、有史以前、昨日ご紹介した、2000年前の巨大南海地震の津波はどうやったでしょうか。単純計算はできませんが、宝永津波の二倍以上の高さであったかも知れない2000年前の巨大津波。それによって、土佐の海岸部の社会構成が大きく変わる事になり、田村の大集落もほぼ壊滅した、という妄想は、昨日のにっこりひまわり。

写真右端。大きなクロガネモチの樹と燈籠の隙間に、先っぽが三角形の石柱が見えます。安政南海地震から23年後の明治13年、地元の嶋内武金さんが、安政地震津波が、この西の物部川河原まで遡上してきた、と伝える為に建立した石柱。西の河原まで、ということは、この眼前は大丈夫やった、ということでしょうか。その辺は謎。

遠くが白く霞む湿度の高い風景写真。広がる田んぼには、もう、黄金色に色付き始めた稲。もうすぐ稲刈りが始まる高知の風景。徐々に、セミの声が聞こえるようになってきた風景。ニイニイゼミでしょうか。ジーーーーっと、林の中から聞こえてきます。まだ、あのクマゼミのワシャワシャワシャワシャは聞こえません。そんな風景。

暑いので、なにやらとりとめのないことをダラダラ書き連ねてしまいました。ああ、蒸せるちや、まっこと。


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