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神々しい物部川、日ノ御子、御在所山〔4094〕2014/07/01

神々しい物部川、日ノ御子、御在所山

2014年7月1日(火)晴れ

美しい朝焼け。朝、5時前の物部川。三宝山を中心にすべてがピンク色に染まり、神々しくも美しい朝になりました。こないだ、6月16日にも同じアングルで朝焼けを撮影しましたが、今朝の方が、雲にも変化があり、御在所山方面まで見える程、空気が澄んで美しゅうございました。
これほどの美しさを見せるのは、ほんのちょっとの時間だけ。暗かった空がピンク色に染まり、そしてあっという間に白く、青く変化していく、その一瞬。貴重な、かけがえのない瞬間。

夕焼けは、空気が少し濁っちゅうきでしょうか、もっとオレンジ色がかった色に染まりますが、澄んだ空気に広がる朝焼けはピンク色。太古の民は、この美しい朝焼けを見て、何を思うたでしょうか。

ここは会社のしゅっと東側の土手。物部川は、この地点で写真のようにZ型に蛇行しちょります。向こうからこちらへの流れは瀬になり、鮎釣りポイントにもなっちょります。
今は、護岸堤防で囲まれた物部川。その護岸堤防に挟まれた間で、川は、蛇行を繰り返し、大水が出るとその流れを変えたりします。
護岸堤防が無い時代。大河、物部川は、この香長平野を縦横に蛇行し、流路をどんどんと変化させ、大地を形成していったことでしょう。そんな、かつてのダイナミックな地形形成を感じさせてくれる、ここのプチ蛇行。

かつて、この物部荘界隈に住んだ人々にとって、三宝山は神の山であったでしょう。そう思わん訳がない。この神々しい景色を見て、自然を畏れ敬う古代の民が、神を感じなかったはずがない。そう確信できます。

お日様への信仰。それは、日本が農耕の民になってから現在まで、連綿と続く日本人の信仰のベース。この物部を遡っていくと、日ノ御子という地名もあります。元々、日御子村という村でした。今はキャンプ場などが整備されちゅう日ノ御子は、その名から、卑弥呼を連想しますし、太陽信仰の雰囲気がマンマン。どうなんでしょうか。
地元の言い伝えでは、そのしゅっと下流で物部川に流れ込む河内川を遡った松尾という集落で、安徳天皇が皇子を産み、いや違う、安徳天皇が女性に皇子を産ませ、その皇子が成長してから、谷を下って界隈にやって来るようになったので、日ノ御子と呼ばれるようになった、という話もあります。谷が物部本流に合流するところに、日ノ御子はあります。
地図で見ると、松尾は、大豊の南大王方面へと抜ける山深い峠の集落。安徳天皇は、そこから尾根伝いに横倉山の方へと逃げ延びて行ったという訳です。

何度かご紹介しましたが、左手の奥に霞んじゅう、乳房の形をした山が御在所山。日ノ御子は、そのしゅっとこちら側の川沿い。御在所山は、安徳天皇と一緒に落ち延びた門脇宰相、平教盛がその地で亡くなり、頂上に墓所がつくられ、宰相の山、というのが在所の山になり、御在所山になった、という説もあります。
安徳天皇は、そこから松尾へ行って子供をつくり、子供はそこに残したまま横倉山へと移動した、ということになります。
平家の落人伝説数あれど、かなり人口に膾炙されちゅう説。

調べてみますと、松尾越えは、土佐の中央部から物部川を遡ってきて、豊永の方へと繋がる交通の要衝であったとも言います。つまり、香長平野の物資を舟に乗せて物部川を遡上させ、日ノ御子のところの川口で荷揚げ、松尾越えで豊永へ運んだ、というルート。そんな、人やモノが多く流れる場所で、安徳天皇が子供までつくったのかどうか。

その界隈には逃宮大明神、聖権現、和光(わこ)渕神社など、神社が多く鎮座。その名称からして、平家落人を連想させます。修験道の場でもあり、信仰が横溢する地域。

そんなことを知って、今一度この風景を眺めると、一層神々しく見えてくるき不思議ではありませんか。


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