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蜩の姿は見えず 夕栄す〔3896〕2013/12/15

蜩の姿は見えず 夕栄す

2013年12月15日(日)晴れ!

昨日はお騒がせしました。いや、ホントにビックリしたがです。自分の指がヘチ向いちゅうが、見たことある方は少ないと思いますが、驚きますぞね、まっこと。
そんな訳で、今日は山へ分け入るのは自粛。大人の分別と申しましょうか。朝、2時間ちょっとのお手軽RUN&史跡巡り。
家から東へ、青柳橋を渡って、五台山の車道を一気に駆け上がりました。そして竹林寺さん参詣、美しい風情を楽しんだあと、牧野へ。植物園を通り抜け、幕末、麓の鋳掛屋さんの娘、お馬さんが純信のもとへせっせと通うたお馬路から、青柳中学校のところへ下ります。

今朝は、五台山の東端を廻り、下田川を渡って、南の山の麓を西進。そこは、唐谷という地区。
唐谷。からたに。ご存知ライオン宰相、濱口雄幸さんが生まれた場所。生家は、そのまま記念館として、無料で見れるようになっちょります。以前、このにっこりでもご紹介したことがあります。
この山麓には、今、高知東部自動車道がつくられよります。風景がどんどん変わる唐谷。その谷の一番奥まったところに、その生家はあります。朝の時間帯は、お日様も差し込まないような谷。ここは、生家へ行く坂道の途中。ここまではお日様が差し込んじょりますが、向こうに見える生家は、寒々とたたずんじょりました。

水口家。戦国期初期、浦戸湾対岸の横浜界隈に勢力をもった豪族でしたが、戦国の動乱の中で水口城は廃城、跡継ぎを乳母が連れて浦戸湾を渡り、唐谷に住んで子孫を残した、とされます。少年は、その水口家に生まれ、ここで子供の時代を過ごしました。神童。
とにかく勉強ができたそうです。その、勉強部屋は、今もそのまんま入って見れますので、水口少年の身になって、体感できます。
で、その後、田野の酒造家濱口家に見込まれて養子となり、東大、大蔵省と進んだのはご承知の通り。優秀な役人で、若槻礼次郎ら政治家に見込まれて政界に転身、そのいかつい風貌と笑わない顔、それに、とてつもなく強靭な精神力で「ライオン宰相」と呼ばれました。意外なことに、民衆に人気があったがですね、そんな風貌、立ち振る舞いで。

大正から昭和にかけて。
軍部が跋扈する中、国際社会の中で日本がどうあるべきか、マスコミも含めて議論が沸騰。そんな中、世論は、「なめられたらいかん」的な、愛国的風潮に傾いていきました。そんな状況で、首相になった雄幸さん。ロンドン軍縮条約を纏めたのは、その強い精神力の賜物であったでしょう。そんなことでは強い日本がつくれない、弱腰ではダメだ、という世論も渦巻く中ですき。
そして、右翼に襲撃され、その怪我が元で亡くなってしまいました。本当に残念なこと。
今の国にとって、国際社会の中で、どうするのが一番良いのか。真剣に、真摯に考え抜いたとき、耳障りの良い結論でない場合が多い。そんな中で、矜持をもって生きて行くことのすごさ、難しさ。

この生家に、雄幸さんの辞世の句の碑が立ちます。俳号は空谷。生まれ育った唐谷にひっかけた俳号。これからの日本の行く末を案じ、無念の思いが伝わります。

蜩(ひぐらし)の姿は見えず、夕栄(ゆうばえ)す

空谷


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