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土佐山田でお昼から〔3887〕2013/12/06

土佐山田でお昼から

2013年12月6日(金)晴れ!

いやいや、ハードな日々になってきました。
昨日は、大分から岡山経由で、8時間かけてモンて来ました。小生が運転した訳ではないですけんど、往復16時間の車の旅は、こたいます。
ことうたまんま、昨夜は飲み会。遅れて参加して、何とか日付が変わる前に帰宅、爆睡。そして今日。早朝から会社へ行ってお仕事。そして。

ここは土佐山田。八王子宮さん。今日は、お昼から、土佐山田、岩村、瓶岩地区合同の、酪農組合の忘年会。そう。酪農家さんの宴会は、基本的にお昼。さあ、今から飲むぞ〜!といった感じのお昼前。
来週も、あります。酪農家さんのお昼の宴会。再来週も、あります。お昼から酪農家さんとお酒を飲む旬間が始まりました。

帰りに困るので、一旦高知へ車を置き、汽車でやって来ました。山田は、固い地盤の洪積台地。高知市からも便利が良いので、人気の町になってきました。大震災以来。海抜も数十メートルあって、非常に地震災害に強いとされます。
洪積台地の特徴は、水はけが良いこと。それは、農地には適さんことを意味します。台地の上は不毛の原野。そこを、野中兼山さんが灌漑、見事な農地が広がるようになりました。
この、山田は、これまたすごい土木事業の賜物。
以前にも書きましたが、この界隈の農業用水や防火用水は、なんと吉野川水系のお水ながですね。吉野川の源流のひとつ、穴内川から、甫喜ヶ峰の山腹をトンネルで抜き、新改へ落とし込んでくる用水が甫喜ヶ峰疎水。野中兼山さんが藩政期初期に発想したそうですが、技術的な問題で断念し、明治になって実現しました。しかし、その疎水を山田の台地上に流すには、広い広い谷を越えんといかん。長い高い水道橋を構築することも考えたでしょうか。結局採用したのはサイフォン。
明治期に、永年小作権などで活躍した松尾富功禄(まつおほくろく)さんが、私費も投じてつくった長い長いサイフォンが、今も、台地の上を潤します。

そのサイフォンは、この八王子さんの山の向こう側にあります。その向こうの谷の下を抜けてくるサイフォン。豊かな水が絶え間なく流れてきます。
桜の名所、八王子宮は、山田の皆さんに親しまれてきました。忘年会開始まで、ちょっとだけ時間があったので、お参りに寄りました。

境内の古い由緒書きによりますれば、文明元年(1469年)、この界隈の領主山田氏が近江、坂本から日枝大社を勧請してきたがに始まるそうです。で、山田村八王子にお祀りした訳です。藩政期になり、上に書いた、野中兼山の開削事業が行われ、中井川を掘削することになって、その社殿の宮床が障害になる、ということで、現在のこの場所に遷座されたということ。
現在の社殿の横を、豊かな水が流れていきますが、その水は、山田の野中兼山とも呼ばれた松尾富功禄さんの努力で引かれたもの。

そんな歴史の土佐山田。今、八王子さんの参道脇のベンチでこのにっこりを書きよりますが、このお宮さんを参拝される方は、次から次。近在の産土神として、親しまれ、尊崇されゆうことがよくわかります。

境内には、元禄3年の銘がある石灯籠もあります。これは古い。1690年ですきんね。野中兼山さんの時代のちょっと後。ですきに、ここに移設されてから間もなくご寄進された燈籠でしょうか。

災害に強い土佐山田は、これからの発展が期待される街。さあ、今から出撃してきましょう。


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