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小田原の海、箱根湯本、箱根駅伝〔3845〕2013/10/25

小田原の海、箱根湯本、箱根駅伝

2013年10月25日(金)東海道は小雨

ここは小田原。神奈川県の小田原。城下町にして、東海道の重要な宿場街、小田原。昨日、新幹線のこだま号に乗ってやって来ました。もちろん、小田原に泊まったのは人生初。
思い出しますが、今から三十数年前、箱根湯本には泊まりました。当時、小生が入学した頃のその大学のその学部は、新入生全員を箱根湯本に集めてオリエンテーションをやりよったがです。そこで、単位の仕組みやら何やらを教えてもらう訳ですが、たぶんそれは口実。校歌、応援歌を、徹底的に教え込まれ、そしてクラスごとの宴会。それで、仲間意識や愛校心、団結力を養いよった、そんな時代。

もちろん高校卒業したての我々のような者が多い訳で、当然ながら未成年ではありますが、学校公認で大宴会をしよった古き良き時代。
翌朝、早速仲良くなった者たち同志で、箱根湯本から小田原まで歩いて来たことを思い出します。
箱根湯本で、小田原まで歩いてどれっぱあか尋ねたら、15分くらい、と言います。それなら歩こう!と。しかし歩いても歩いても着かない。1時間程歩いて、道行く人に小田原までどれっぱあか尋ねたら、やはり15分くらいという答え。どうやら小田原では15分以上の単位がないのではないか、ということになりました。そんな思い出。

宴会の際、何か特技を、ということでそれぞれ披露したがですが、一人、東海道線の駅名を全部言うた輩がおりました。おりましたよね、そんなやつ。
東海道線が最初につながったのは明治22年と言いますき、古い。今のルートとは違うところも、いくつかあります。その一つが、この風景。

台風の影響で波が結構荒い小田原の海岸。向こうに、箱根連山の先っぽが見えます。現在の東海道線は、あの海岸を通り、熱海から丹那トンネルを抜けて沼津へとつながっちょります。
しかし、最初は、国府津から北回り、現在の御殿場線廻りのルートが、東海道線でした。しかし、時間短縮を期して、国府津から熱海、そして伊豆半島の付け根の山をトンネルで抜いて沼津へと敷設することになった訳です。
最初は国府津から熱海まで。熱海線と呼ばれる鉄道。しかしその熱海線、関東大震災で、できたばかりの鉄橋が山津波で押し流されたり、満員の客車が流されたりして、甚大な人的被害も被ったりしました。
その後、難工事で工期が大幅に遅れちょった丹那トンネルも開通し、現在のルートになったがは昭和9年。
あの、海岸線を、東海道線が走ることになった訳です。

小田原と言えば、小田原評定とか小田原提灯とかお猿のかご屋とか、色々思い出します。かまぼことかも。

市内をたつくってみますと、かまぼこ工場のような食品工場が結構多いががわかります。お肉工場も多いですね〜。あと、お寺さん。古い町であることがよくわかる、小田原。
そして箱根駅伝の小田原中継所。
昔から、東海道を下っていく際、箱根の山を越えるのが最初の難所。その難所を控え、鋭気を養う場所であった小田原。今、箱根駅伝の最大のクライマックスは箱根の山登り。小田原中継所から、今井選手や柏原選手がスタートして言ったがは、記憶に新しいところ。

その、小田原中継所の界隈で、国道1号線を走って写真も撮影してきました。夜明け前の静かな国道1号線。あそこが、来年のお正月も、興奮のるつぼに化すんかと思うと、不思議な感じ。

海岸には西湘バイパス。その北側の、古い土手の横を走ってみました。昔の漁村の雰囲気が残る海岸から、新しい住宅街が広がってくる街。
大正の頃、作家の川崎長太郎さんが、トタン屋根の小屋を結んで、生活しながらものを書いた、という小さな記念碑がありました。
うらぶれた海岸、トタン屋根の小屋。そこで波音を聴きながら文章を書く生活。う〜ん、ものすごく、その心情がわかるような気がします。そんな、雨の小田原の海岸。


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