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岩村、津野神社、霊厳寺、孝山寺、孝山祭〔3836〕2013/10/16

岩村、津野神社、霊厳寺、孝山寺、孝山祭

2013年10月16日(水)曇りのち晴れ

台風は、高知にはメッソなこともなく過ぎていってくれました。朝はまだ雲が多く、風も強いですが、今日は、これから晴れそうな気配。

今朝の高知新聞、「土佐の営み」というコーナーに、梼原町の「孝山祭」のことが載っちょりました。古くから梼原で行われゆう由緒あるお祭り。
そこを戦国期に治めておったのは津野氏。戦国末期、長宗我部軍に攻められ、当主の津野勝興さんは降伏。で、長宗我部元親三男が勝興さんの養子となり、津野親忠と名乗って津野氏を継承したがはご承知の通り。長宗我部お得意の、M&A戦略。
しかし。

長宗我部軍が秀吉に破れ、土佐一国の領主となり、秀吉の命で出兵した豊後、戸次川の戦いで元親嫡男信親さんが討ち死に。で、元親の意向もあり、久武内蔵助らが暗躍して四男盛親に家督が譲られたのでありました。
三男で優秀であった親忠さんの立場は微妙。結局、讒言もあり、謀反を疑われた親忠さんは、岩村、霊岩寺で幽閉、自刃したという話。

その、悲劇の武将を弔うため、命日の9月29日に供養の祭りをやりよったがが、戒名の「孝山」の名を冠して「孝山祭」と呼ばれるようになり、今に伝わっちゅう、という訳です。そのお祭りのレポートが、今朝の高知新聞。

弊社から北へ行くと立田。そっから北上していくと、岩村。その、農協のところを東へ入った田んぼの中に、津野神社はありました。
雑草が生えちょりますが、お堂にはお酒などがお祀りされ、近在の皆さんに大切にされちょります。案内板もありました。この神社本殿の下に、津野親忠さんは埋葬されちゅう、とのことです。この本殿からちょっと北側に、鬱蒼とした薮。その中に立派な古い古い五輪塔などが隠れるように佇みます。いかにも由緒ありそうですが、薮の中に埋もれちょりました。
どうやら、元々、この本殿の場所にあった五輪塔。神社として祀られることになった際、北側の、霊厳寺、後の孝山寺があった場所に移された、とされます。

と、いうことは、その五輪塔のある薮が、親忠さんが自刃した場所、ということになるのでしょうか。
孝山寺は、明治4年に廃寺。寺屋敷の一角に観音堂が残る、と、「高知県の地名」には書かれちょります。その観音堂、今もありますが、こちらは少し荒れちょりました。元々竹林寺の末寺で、寺領も多かったとされますが、今は見る影もありません。貴重な親忠さんの墓碑である五輪塔、もうちょっと何とかしたいですね。

津野親忠さんは1599年にここ、岩村へ移されちょりました。そして関ヶ原で西軍について破れた長宗我部盛親は、井伊直政に、家康公への取りなしを頼もうとします。で、その為に大坂へ出発する際、久武内蔵助たちが、岩村、霊厳寺の親忠さんを自刃させました。その一件が、家康の耳に入り、長宗我部家お取り潰しの理由とされた、という顛末。
まあ、家康のことですき、口実かも知れません。が、ここで親忠さんが自刃させられちょらんかったら、などと、考えてしまいます。

ここは、そんな歴史の重要な舞台。
この写真を撮影しよりましたら、突然、雲間から朝日が。瞬間、津野神社が明るく照らし出されました。


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