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長岡謙吉顕彰碑〔3608〕2013/03/02

長岡謙吉顕彰碑

2013年3月2日(土)晴れ!

ここは浦戸町。藩政期初期、城下町建設の際、浦戸城の城下町から住民を移設してきた町、浦戸町。高知で浦戸町と言えば、なんと言うたちアイスクリン。1×1=1のアイスクリンを連想しますよねえ。それでこそ高知県人。

で、その、1×1=1の前に、幡多倉公園という公園があります。藩政期、幡多からの物資の蔵があったので幡多倉公園。その公園の隅に、この度、この写真の顕彰碑が建てられました。今朝の高知新聞に載っちょりました。素晴らしい。

これは、長岡謙吉顕彰碑。長岡謙吉さんについては、このにっこりでも、何度もビッシリご紹介してきました。海援隊の知恵袋。その重要人物について、何の顕彰碑もなかったのは、実に不思議な事。その辺が、龍馬一辺倒観光行政の歪なところでしょうか。
長岡謙吉さんは、天保5年、この公園のもうちょっと西で生まれました。しゅっと近所に、かの河田小龍さんが住みます。
元々、非常に優秀であった謙吉くん、近所の小龍さんに師事して、世界情勢を学びました。河田小龍さんは絵師けんど、好奇心と向学心が尋常ではなく、いち早く世界情勢情報を習得。特に、ジョン万次郎さんが帰国した後、インタビューに成功して、その情報を纏めたりしちょりますので、その知識はホンモノ。

その後謙吉くんは、長崎でシーボルトに師事したりして西洋医学を学んだ後、河田小龍紹介で土佐海援隊に入隊。河田小龍さんが龍馬の元に送り込んだ数々の優秀な人材の一人なのでありました。
秀才で、文章に優れた謙吉くんは、海援隊の「文司」として活躍、龍馬の思いを、文章にしていったのでありました。例えば船中八策。維新後の日本の在り方に非常に大きな影響を与えた船中八策の文章は、長岡謙吉さんが書いたモノと言われます。

龍馬暗殺後は、海援隊の隊長にもなり、重要な役割を果たした長岡謙吉さん。しかし、その大人物を顕彰するものが何もなかった。それを、地元の歴史家や有志が声をあげて、このたびこの立派な顕彰碑が完成したという訳です。

こういった、地味で地道で地域の思いを伝える取り組み。これが大事やと思います。そんな意味で、ここにこれが建ったということは画期的。アイスクリンを食べながら、一度、ご覧になってみてください。間違いなく、明治の元勲のひとり、長岡謙吉さんの顕彰碑。


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