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冬至の太陽、南海地震〔3537〕2012/12/21

冬至の太陽、南海地震

2012年12月21日(金)晴れ

今日は高知。ここは物部川河口、久枝海岸。冬至の太陽を撮影してきました。冬至らしく、寒そうなお日様。
今から66年前の今日、高知では、昭和の南海地震が発生しました。昭和21年12月21日午前4時15分。その年の冬至は、12月22日でしたので、冬至の前日。今日の様に寒い季節やった訳です。

そして、安政南海地震は、今から158年前、嘉永7年(安政元年)11月5日。これは旧暦ですき、西暦に修正するとどうなるか。1854年12月24日。そう。丁度今の季節、冬至の頃やった訳です。安政の南海地震と津波、昭和の南海地震と津波、両方とも、冬至の頃やったということになります。これは意外と知られちゃああしません。

そう考えると、いつもご紹介する、宇佐、真覚寺住職、井上静照さんの「真覚寺日記」の風景も、違うて見えてきます。こないだ読み下してご紹介したように、地震は夕方発生しちょります。冬至の夕刻。もう、すぐに暗くなったことが判ります。そして、山に避難した皆さんは、そこで揺れに怯えながら一夜を過ごした訳ですが、それはそれは寒かったでしょう。冬至の頃ですき。そして、その震災後、後片付けなどをしながら過ごす風景も描写されちょりますが、やはり、厳しい寒さの中、行われたということになります。

今日は、震災翌日からの日記を、いつものように読み下してみます。

嘉永7年(安政元年)11月6日【1854年12月25日】 晴れ
朝日の色は、その紅のような赤さが昨日以上である。橋田の者は、昨夜から飢渇である。そこで、山で粥を炊き、芋を蒸して、当寺から分け与えて食べさせた。浜の井戸には、ことごとく、海水が入ったき、薬師谷から水を汲んできて煮炊きした。昨日からの潮が引かんので、宇佐の中でも、行き来することができん。お城下の方も大地が破裂しちゅうので、簡単に行けんなっちゅう。この浦でも、所々、地割れが起き、穴があいたような場所も数カ所。

今日は、津波で流された跡で、食物やら道具類やら拾い集めるヒトで溢れちゅう。藁葺きの家、4〜5軒が、昼頃、沖から流れ着いた。箪笥、長持ち、家具類から衣類まで、砂に埋もれちゅうがを拾い集めゆう。船に乗り、沖に出て、争いながら拾う者もおる。欲界の習いで、浜辺に出ちゅうヒトは数百人。天気は益々良うなった。

朝から夜までの間に地震が7〜8回。夜6時から朝迄に4〜5回。今晩も、昨夜と同じ場所で夜を明かす。月の入り頃、西の方角がちょっと曇り、夜中頃から全天曇り。

嘉永7年(安政元年)11月7日【1854年12月26日】 
地震も、ちょっとは弱まってきた。曇っちゅうので、山際に持ち出した諸道具類を、お寺へ運んできた。朝8時頃、雨が降り出し、昼過ぎにやむ。しばらくして、橋田の為平、甚三郎、清之丞、良右衛門たちの家族、十数名が、連れこって来た。仮設の小屋ができるまで、宿を貸して欲しい、と、頼みにきたのである。即時、当寺に移ってくる。このひと達の家は、流れとどまったので、二階に残っちょった諸道具を持って、当寺にやって来た。地震は全然やまない。

嘉永7年(安政元年)11月8日【1854年12月27日】 晴れ
男どもは、それぞれ、浜に出て、竹、材木、板、柱の類いを拾い集めた。銘々、勝手に土地を決めて自分の家を建てゆう。中には、拾い集めた品が、ヒトと入れ違い、口論になっちゅうがもおる。日々、喧嘩の声が絶えん。
今日、公儀から、流損の家々にお救い米が支給された。夜は、地震がやまんので、蒲団を巻き、火を燃やして寒さをしのぎ、夜明けを待つ。

というような状況が、震災直後の宇佐の姿。これが、丁度今時分のような、冬至の寒い時期やったということ。そうわかって、今一度日記を読むと、人々の苦労、大変さが違うて見えてきます。

嘉永7年(安政元年)11月9日【1854年12月28日】 晴れ
朝、弘願寺から使いの者が見舞いに来た。お昼前、佐川の光明寺さんも見舞いに来た。西畑も、佐川も、地震が続くので、皆家から出て、山際に居を構えちゅうそうぢゃ。特に、佐川の街中は、家1軒につき提灯1つ、行灯1つしか火をつけたらいかん、というお触れが出され、街中で煙草を吸うがも禁止された程、火の用心が厳しゅうなっちゅう。高知の城下も同じような状況。下町が焼け、その後片付けもろくにできてないので、盗人に対する警戒がこじゃんと厳しい。
今日須崎の役人が宇佐へ来て、状況を視察した。
夜、少し横になった。真夜中からまた揺れ出し、朝まで、5〜6回の地震。

嘉永7年(安政元年)11月10日【1854年12月29日】
お城下の専修寺さん、弘岡の光寿寺さんが見舞いに来た。今日も晴れ。昼頃までちょっとづつ揺れた。今晩、初めて、一同が寝れた。夜半頃、ちょっとづつ2回地震。

嘉永7年(安政元年)11月11日【1854年12月30日】 晴れ
朝、早々、地震。風が強く、寒気が甚だしい。山際に、それぞれの仮設小屋が徐々にできてきた。夕方4時頃までに小さい揺れが2〜3回。風がやまん。夜半から朝にかけて3〜4回揺れた。
宝永南海地震津波では、宇佐、福島の間に残った家は、瀧ヶ谷に1軒だけやったと言う。津波の高さも、今回の津波より1.5m以上高かったにかあらん。

以上、読み下し、文責ひまわり太郎でした。
今日は昭和南海地震から丁度66年目。来週の月曜日が、安政南海地震から丁度158年目になります。


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