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南嶺の風景、農地も草原も、全部杉林に。〔3496〕2012/11/10

南嶺の風景、農地も草原も、全部杉林に。

2012年11月10日(土)晴れたり曇ったり

今日は、午前中時間があったので、山RUN。とは言え、まだ足首に不安が残るので、南嶺をリハビリRUNしてきました。

家から鏡川大橋を渡り、竹島町から六泉寺へ。そして西孕。そこに、古い、長浜方面へ抜ける往還、今は宇津野山の登山道になっちゅう路の登り口があります。そこから一気に峠へ。
前回、そこを駆け上がったときはまだ夏。暑いときでした。峠の上の見晴らしの良いところにたどり着いたら、息も絶え絶え、気分が悪うなって、意識が遠くなりかけました。危なかったです。今日は気候も良いので、心臓バクバクではありながら、心地良いゼエゼエ感でした。苦し心地良い、というやつです。

そこから南嶺を縦走。宇津野山のてっぺんを駆け抜けて一気に鷲尾山のてっぺんまで。今日は登山客さんも少なく、静かな鷲尾山頂。そっから、筆山方面へ帰るルートで山を下ってみました。
鷲尾山の北斜面を下っていく訳ですけんど、そこを走って下りながら、子供の頃の風景を思い出しました。小学生の頃、鷲尾山は何度登ったかわからん山。そして、その北斜面は、正面に北中山か南中山かが見える、見晴らしの良い道でした。背丈の低い植物が生い茂る、そんな山道。今は、杉の林になって、森の中の道になっちょります。ひとっちゃあ見晴らせません。そんな風景からは想像もできませんが、間違いなく、当時は森のない、見晴らしの良い道でした。今日、下りもって、突然そんなことを思い出したのであります。

思えば、当時、たぶん、杉の植林が行われよった時分ながでしょうか。昭和40年代前半。ひょっと、その灌木の中に、杉の小さい苗期があったがかも知れません。いや、今の杉の状態を見ると、当時はまだ植林されてなかったかも知れませんね。

鷲尾山の北斜面を下って来たががここ。東へ下ると深谷。西へ下ると吉野。まっすぐ南へいくと、北中山の土佐塾高校。
吉野から深谷へ抜ける道の、峠になります。

ここは、小学生の頃、すでに林でした。父と一緒の写真が残っちょります。しかし、こうやってよく見ると、石垣がたくさんあります。段々畑か棚田。こっから東へ、深谷の方へ下る斜面には、このような石垣が連綿と続きます。我々が生まれる前までは、立派な農地やったがでしょう。

国土地理院、国土変遷アーカイブで、1952年の航空写真を見ると、この写真の界隈、農地やったことがわかります。写真の下の端、東西に南嶺の山々。そっから直角に北へ、筆山へつながる山々。その連山の根元の右側が深谷。そっから西へ上がっていくと、白く見える農地があります。何をつくりよったがでしょうか。
今日の写真を見たらわかるように、農地の横にはキチンと水路もしつらえられちょります。

小学生の頃、こっから鷲尾山へ登る斜面は、背丈の低い植物しかありませんでした。そして、こっから北中山へ登ると、広い茶畑。そう。当時は茶畑がありました。この石垣でつくられた農地は、茶畑ではないでしょう。よく見ると、ちゃんと平らに整備されちょりますき。

水の便を追い求め、山の上へ上へと農地をくつっていった時代。木材が財産になる、産業になる、と信じられ、杉の木を植えていった時代。
つわものどもの、ゆめのあと。


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