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菅原高視さんの高見山から、竹島の竹島方面を眺める〔3447〕2012/09/22

菅原高視さんの高見山から、竹島の竹島方面を眺める

2012年9月22日(土)晴れたり曇ったり

雨も降らず暑くもなく、ちょうど良い感じのお天気になった土曜日。今日は竹島町界隈。個人的Facebookには、竹島に登るひまわり太郎をご紹介しちょります。
そう。竹島町は、竹島という島があったので竹島町。中世まで、古浦戸湾の底であった潮江に、ぽっかりと浮かんじょった竹島。
いつしか海が陸地になり、島は山になりましたが、比島、洞ヶ島、田辺島、葛島と同じように、地名としては残った竹島。

竹島が島であった頃、今の筆山や高見山の東側は海やった訳です。そんな昌泰4年(901年)、中央の権力争いに破れた菅原道真公が太宰府に左遷されたがはご承知の通り。そして嫡男、菅原高視さんは、土佐権守として同じく左遷、潮江に住んだ、という話はご存知ですよね。このにっこりにも何度か書いてきました。

その、道真公嫡男、高視さんが住みよったとされるががここ。高見山の東麓からちょっと上がった、見晴らしの良いところ。

道真公が失意のうちに太宰府で亡くなった後、その遺品を、九州太宰府からここまで持って来ようとしたのが道真家臣の松本白太夫さん。しかし、現在の大津、船戸の港のちょっと東で、病に倒れ、高視さんに遺品を届ける直前に亡くなったという白太夫伝説もあります。

さて、白太夫さんは、何故、大津で亡くなったか。当時のことを想像してみましょう。船で来たとしたら、浦戸湾に入った船は、まず、大津の港に到着したことでしょう。そこで一旦上陸し、こちらの潮江方面への船に乗り換えることになります。陸路やった場合も、当時の浦戸湾の広さを考えると、やはり、ここ潮江には船、ということになりそう。
で、白太夫さんは、その船待ちをしゆう間に亡くなった、ということになります。

う〜ん、大津からここまでは、船ですと数時間もかからずに来るれます。鹿児(かこ)という地名が残るように、水夫(かこ)もたくさん港に居ました。謎です。

もっと謎は、当時の国府があった南国市国府界隈から、何故、こんなに離れた場所を住居にせんといかんかったか。土佐権守ですきんね、高視さんは。

考えられることは2つ。1つは、ここに住んだというのは単なる伝説で、実は国府の近くに住みよった、という説。もう1つは、土佐権守ということで赴任はしたものの、実際の行政からは遠ざけられちょった、という考え方。いや、小生が考えただけですけんど。

しかし、そう考えると、菅原道真公の力を警戒する中央政府の意図が見えてきます。嫡男は、父親ほどの能力はないにしても、やはり警戒すべき人物。そこでスーチーさんほどではないにしても、行政から遠ざけた。という妄想。
すると、道真公の遺品を持って来た遺臣、というのはかなり警戒せんといかん人物、ということになり、簡単には嫡男とは接触させんようにした、という妄想も暴走します。

ごめんなさい。全部勝手な妄想。こうやって妄想暴走も、たまには楽しいです。しかし、ここに、菅原道真嫡男、高視さんが住んだ、という伝説にもとづいて、高見町になり高見山になったのは、これは事実。竹島町も高見町も、古い謂れのある町なのでありました。


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