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長宗我部時代からの町と古町、七町〔3309〕2012/05/07

長宗我部時代からの町と古町、七町

2012年5月7日(月)曇っちょります

関ヶ原の合戦が終わり、山内一豊さんが大名として土佐に封ぜられ、高知の城下町建設を始めたのは慶長6年(1601年)のこと。それまでに、長宗我部元親さんが大高坂山に城を築いて城下町を創ろうとしちょりまして、2つの街を新設しちょりました。岡豊城下の市町を移設してつくった新市町と、山田の城下町から住民を移してつくった山田町
土佐へ入国した一豊さんは、大高坂山に新たに城を築き、改めて巨大な城下町建設をすることとしました。武士の住む、本町や追手筋などの政治の中核部分を整備した上で、商業などを担うエリアとして、上記2つの既存の街に加え、7つの街を新たに建設することにしたのでありました。

その7つの街は、その後の高知の城下町の基本となったので古町、七町と呼ばれることになります。

一豊が前任地の遠州掛川より職人を呼んで住まわせた掛川町
現在の土佐市蓮池にあった蓮池城の城下町から住民を移した蓮池町
入国当時の土佐の中心、ご存知浦戸城下から水主、商人を移してきた浦戸町
同じく種崎から水主、商人を移した種崎町
元々本山氏が本拠を置き、栄えた、朝倉城下の市町を移設した朝倉町
現在の春野の弘岡、吉良城下の住人を移してきた弘岡町
秀吉朝鮮出兵で元親さんが朝鮮より連れ帰った方々の子孫が住まわされた唐人町

いわゆる下町(しもまち)と総称されるエリアで、高知の城下の経済を担う賑やかな町となりました。最初は、何もなかった場所に、こうやって人々を移して来ることでできあがっていった街でありますね。

写真は、今朝、4時過ぎの東唐人町。向こうに見えるのは潮江橋で、その向こうをもうちょっと行くと西唐人町。西唐人町に豆腐屋、東唐人町に魚屋が多かったようです。豆腐は、もちろん、朝鮮から技術が持ち込まれて唐人豆腐と呼ばれたもの。
この右手、東唐人町の北側が弘岡町、その北が朝倉町、その北が浦戸町、堀川を挟んで種崎町、後にできた材木町、その北が長宗我部時代からの新市町、そして蓮池町、これも長宗我部時代からの山田町と並びます。

宝永、安政の2度の南海地震を乗り越え、戦前まで、高知の商業、流通の中心でありつづけたエリアです。

左端に、雲さえなければ丸いお月さまが、雲間から少し覗いております。早朝の静かな静かな鏡川。


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