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室町時代の政治中心と都市の形成〔3246〕2012/03/05

室町時代の政治中心と都市の形成

2012年3月5日(月)雨のち曇り

朝のうち、結構降りました。気温も上がって高知はもう春。もう、一気に春です。

こないだうちから土佐の中世についてお話しよります。中世と申しましても、鎌倉時代から戦国期まである訳です。で、鎌倉時代は、三浦氏とか北条氏とかの勢力が土佐の守護として支配したようです。その拠点は古代と同じ国分界隈。で、南北朝の合戦期を過ぎると、土佐は、守護、細川氏の支配下に置かれたがはご承知の通り。ビッシリ書いてきちょりますきんね。

その本拠は、14世紀後半には、ここ、田村に固定されました。色んな研究がありますが、この、空港滑走路北西部分に広大な居館を構え、守護代屋敷として政治の中心となりました。

この写真は、その城館の中心郭の北東隅やったと思われる場所に今も鎮座する城八幡。この界隈のホノギはその名も「城」。ここを中心に、広大な屋敷がつくられちょった訳です。政治の中心。

で、ここが政治の中心とすれば、城下町にあたる消費地はどこに形成されちょったがか。それは、現在の前浜かも知れません。
前浜の砂丘は、太古の昔より形成されちょったもの。その、津波避難地にも指定されちゅう伊都多神社さんのある砂丘は、その東で消え、その東側が、当時、物部川の河口やったことがわかっちょります。そして、河口から北には、砂丘にまわりこむように湿地帯(ラグーン)があったようです。

守護代や、その武将達の住む屋敷は、そのラグーンの北岸につくられちょります。東は物部川河口部。そしてラグーンの南岸は、大湊やったようです。色んな説かありますきに、ホントのことはようわかりません。
大湊と言えば、紀貫之さんが京へ帰る際に停泊したところ。たぶん、物部川河口から入ってラグーンの方へ行ったところに良港があったがでしょう。そこが大湊。

写真は、城八幡様から南を眺めたもの。遥か向こうに、砂丘に形成された前浜の町が見えます。こっから南へ、滑走路をくぐり抜けたところに、在地の国人領主千屋氏の本拠、千屋城がありました。これも、物部川の西岸にあったと思われるお城。その南西には広いラグーンがあり、南岸に大湊。

紀貫之さんの時代からあった大湊。14世紀後半には、そこに、守護代屋敷周辺の政治の中心に対応する商業、物流の中心、都市が形成されちょった、という説もあるのであります。


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