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日章村、日章小学校、日章酪農組合、日章園〔3149〕2011/11/29

日章村、日章小学校、日章酪農組合、日章園

2011年11月29日(火)曇っちょります

昨日、日章村という地名の語源などをご紹介しました。ひまわり乳業南国工場が南国市物部にできたのは昭和40年。昨日ご紹介したように、その土地は、昭和17年に日章村になっちょります。昭和31年、近隣の地域と合併して香長村に、そして昭和34年に南国市になりました。
昭和40年頃は、そんな訳で、南国というよりも日章という方が、高知の皆さんにはしっくりきちょりました。で、当時、正式名称は南国工場やったものの、「日章の工場(こうば)」と呼び習わしよりました。もちろん高知空港は日章の飛行場。
最近、メッソ、日章という地名が聞かれんなってきたような気がしますが、年配の皆さんにとってはやっぱし日章。この区域の酪農さんの組合も日章酪農組合。
そして、今でもちゃんと、日章小学校があります。
そ の日章小学校からちょっと北へ行き、ちょっと東へ入ったクに、この写真の施設があります。現在は立田公民館。昨日も書きました通り、ここは、昭和13年、 地元出身の文学者にして漢学者、北村澤吉さんが「地域から多くの君子を育成する」目的で、私費を投じてつくった「日章園」があった場所。今でも、このよう に、「日章園」と刻まれた門柱が残っちょります。この文字は、北村博士の揮毫といわれちょります。
昭和17年に、海軍の飛行場がつくられるに際して広大な土地、民家の接収が行われ、それに合わせるように三島村、立田村、田村が合併して一つの村とされました。三島村は、その村域の7割が接収されたため、村として存立せんなったきでしょうか。
で、 その村名を、立田にできちょった地域学習、教育、交流施設「日章園」から拝借した、というのが一般的にいわれる日章村の由来。日章村やった期間は昭和17 年から31年までですきたったの14年間。しかし、今でも学校の名前に残り、酪農組合の名前に残り、人々の記憶に残っちゅうという訳です。
この界隈の古い酪農さんにとっては、今でも、日章の工場(にっしょうのこうば)であり、日章の飛行場であり、日章の牛飼いなのでありました。


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