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御手洗遺跡と溝の方向〔3140〕2011/11/20

御手洗遺跡と溝の方向

2011年11月20日(日)快晴!

昨日の大雨が嘘のようなお天気になりました。良い日曜日。
午 前中、県外からのお客様が会社にいらっしゃいましたので、ご案内させて頂き、お昼からたつくりに出ました。ここは神田。こうだと読みます。神田。正確に言 うと、高知市神田字御手洗。ここに、中世から近世にかけての住居や溝の遺構が出土したということで、御手洗(みたらい)遺跡と名付けられ、今日の午後、現 地説明会が行われたのでありました。
鎌倉時代から室町時代にかけての遺構が中心。その時代の歴史は、実は、あまりハッキリしたことが判らず、土佐 の歴史の中でも密度の薄い部分。戦国になると、各地の豪族が、俄然、その強烈な個性を現し始めるがですけんどね。中世に、個性的な領主が居らんかったとい う訳では決してなく、証拠となるような遺跡や文献が、メッソ残されちゃあせんことによります。
そんな中、珍しい鎌倉から室町にかけての遺跡。その 出土した土器の豪華さからみて、江戸時代に至るまで、ここにはかなり勢力、経済力を持つ方々が住んじょったにかありません。この南の神田南城が、戦国期に は細川宗桃さんが城主やったといわれますが、その前はどんな方が支配しちょったがでしょうか。
ところで、以前、バーガ森北斜面遺跡を見に行った際 に、古代土佐は、烏帽子山と鴻ノ森を結んだ線、正確な南北から16度だけズレた線に沿うて建設されたにかあらん、という話を、埋蔵文化財センターのYさん に聞いたことを書きました。今日も、そのYさん、個人的に来ちょりました。
どうやら、この中世の条里も、その古代につくられた条里制を踏襲しちゅ うがやないろうかと。そこで、この遺跡の溝の方角をじっくりと見てみました。若干の誤差はありますが、割合に似いちょります。少なくとも、方角にして5度 以上違うことはなさそう。つまり、この神田界隈の中世の条里制は、もっとずっと昔の古代からの都市区画をそのまま使うちゅうがかも知れんと。そしてその方 角は、烏帽子山と鴻ノ森の頂上を結んだ直線を基準にしちゅうがやないかと思う事ができるかも知れません。と、言いながらYさん、この右手の、現在のコンク リート製の水路を見て、これも遺跡の溝の跡と方角が一緒であることから、この水路は古代からのものかも知れん、とおっしゃいました。左手の遺跡の水路跡 と、現在の水路の間が道路やったがでしょう、などのビックリするようなことを言います。なるほど。そうやって眺めると、眼の前に、古代の神田界隈が広がっ てくるような気がしますね。


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