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ひょいと四国へ晴れきっている〔3128〕2011/11/08

ひょいと四国へ晴れきっている

2011年11月8日(火)晴れぞなもし

てな訳で今朝は松山ぞなもし。昨夜、一番町、二番町、三番町と渡り歩きながら飲みよりましたので、ホテルへ帰ったがは夜中の1時。こたいました。松山の方に、ぞなもしぞなもしという言葉は、今は誰も使わん、と言われましたぞなもし。
で、ここは今朝の一草庵。ご存知種田山頭火さんの終焉の地。松山の繁華街から北へちょっと行った寺町の一角。近くには護国神社もございます。
ここは、御幸寺というお寺さんの隣。昭和14年頃は、御幸寺の納屋として使われよったそうです。
当 時種田山頭火さんは、山口県湯田温泉で酒三昧の生活を送りよりました。その生活に終わりを告げ、自分の終焉の地を求めて四国へと旅にでます。途中、こない だご紹介した小豆島の尾崎放哉さん終焉の地とお墓を訪れちょります。そして四国へ渡り、土佐までも足を延ばした後、ここ松山にやって来ました。
松 山は俳人の多い土地柄。ここで、松山の人達の配慮によって、御幸寺の納屋を寓居として使えることになった訳です。昭和14年12月15日のこと。翌年10 月11日未明、願望であった「コロリ往生」を、この庵で果たします。前の晩は、いつものように松山の俳人たちが集まって句会をやりよったそうです。ひょっ としたら、山頭火さんの凄まじい人生からしてみますと、考えられんくらい幸せな終焉やったかも知れません。尾崎放哉さんの小豆島での終焉は、かなり悲しく 辛いものがありますので、対照的ではあります。
さすが松山の皆さんは、こういった文化的歴史的建物の価値がわかっちょります。ご覧のように、松山市の管理となって整備されちょりますね。植木枝盛の家を壊してしまうどっかの街とは大違いですな。ここはちょっとした資料館みたいにもなっちょります。句碑もあります。
鐵鉢の中へも霰
昭和16年、没後すぐに建てられた句碑で、山頭火さんのあご髭が納められちゅうそうです。庵のすぐ右手、掃除のおばちゃんの左側に見えよります。
濁れる水のながれつつ澄む
これは、亡くなる一ヶ月前、自分の人生を詠んじょりますね。
一洵君に
おちついて死ねさうな草枯るる
これは、昭和14年12月15日、この庵に入った際に、世話してくれた高橋一洵さんに感謝して詠んだ句。素晴らしい死に場所をありがとう。
自由律の俳句というのは、もう、山頭火さんと放哉さんで、終わる運命やったがかもしれません。
ひょいと四国へ晴れきっている


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