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潮江天満宮の手水の柄杓は竹製でした〔1730〕2008/01/10

潮江天満宮の手水の柄杓は竹製でした

2008年1月10日(木)快晴!

今日も快晴。が、明日は雨で気温も高うなりそうな予報です。

こないだ、1月7日のにっこりで、潮江天満宮の手水に、新しいプラスチック製の柄杓が増えちょった、てなお話をしましたですが、これが大きな間違いでございました。この新しい柄杓は、竹製です。カップの部分が、竹の節を底にして適当な深さに切り取ったもので、柄は竹を立てに細く切ったものを利用しちょります。れっきとした手作り柄杓。工業製品ではありませんでした。竹の大きさがそれぞれ違うので、柄杓の大きさもバリエーションに富んじょって面白いです。

さて、この手水の水盤には明治十年奉献と刻まれちょりますが、明治十年と言えば西南戦争。西郷どんが不平士族に担がれて起こした、日本最後の内戦と言われる西南戦争。この戦では、熊本鎮台の司令官、谷干城さんの活躍が知られちょりますね。このにっこりでも何度かお話しました。熊本城に籠城した谷さん率いる官軍は、薩軍の猛攻に耐え抜き、官軍勝利に貢献しました。土佐、窪川出身の谷干城さんは、山県有朋と並ぶ、日本陸軍創設の立役者でもあったのであります。

西郷どん、征韓論に敗れて明治6年に下野しましたが、同じ時に高知の板垣退助さんも参議を辞して下野、土佐へモンて来ました。西郷どんは、薩摩で不平士族をまとめあげ、私学校をどっしこ作って若者の教育を始めました。そして明治政府の方針と対立し、明治10年の西南戦争へと突入していったがですが、板垣退助さんの方は、土佐で自由民権運動を始め、立志社を創設しました。明治10年、薩軍は、その蜂起に土佐の板垣さん達も呼応して挙兵すると踏んじょったらしいですが、板垣さんは呼応せず、自由民権運動に邁進します。ここで運命は分かれていきました。明治10年に創刊された立志社の機関誌「海南新誌」に、かの植木枝盛さんが書いた文章に「自由は土佐の山間より」というのがあります。武力ではなく、言論で明治政府に挑んだのが土佐人でした。


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