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江ノ口川、一文橋、鉄砲町、宝永町〔1597〕2007/08/30

江ノ口川、一文橋、鉄砲町、宝永町

2007年8月30日(木)今日も晴れて暑いです!

昨夜、いっときかなりガイに雨が降りましたですね。ひと雨降ると、朝の涼しさが随分と違います。窓を全開で寝よりましたけんど、夜明け前はかなり涼しゅうございました。

今朝は、久し振りに鏡川から高知城脇を抜けて江ノ口川界隈をたつくりまわってきました。丸の内から永国寺町界隈は、やっぱし歴史を感じさせる独特の趣きがありますな。高知の城下の中枢区域です。で、お城の北の江ノ口川沿いに東へと下ってみました。江ノ口川から分かれて新堀川が南へ下る川の三叉路では、こぢゃんと工事が進みよりました。このまんま新堀川は新しい道路によって塞がれてしまうがでしょうか。活発な議論を待ちたいところですな。

さて、ここはそこからもうちっと東へ寄った、一文橋界隈。向こうに見える橋が一文橋。その昔、この橋を渡るに一文かかる有料の橋やったので一文橋。欄干には寛永通宝のデザインが施されちょります。この辺り、古い蔵とかも多く、ご覧のように素敵な趣きになっちょります。この蔵は、今はギャラリーとかに使われよりますね。おしゃれです。ひまわり牛乳1000ml紙パックに掲載中の、きんこん土佐日記ひまわり版を書いて下さっちゅう村岡マサヒロさんの個展を、昨年、この蔵でやりました。

この川の南岸は鉄砲町。藩政期初期、この川の堤防警備のために鉄砲足軽を住まわせたことに由来する町名。長宗我部の残党が恐かったがでしょうね。その後、1698年、鉄砲足軽は南の農人町へ。そこは海からのお城下への入り口ですきに、警備の重要性は時代とともにそっちへと移っていったがでしょう。同じ年に、城下の火災で焼けた18の寺院がここへ移ってきて「新寺町」を形成しますが、9年後の1707年、宝永の南海大地震でまたまた全滅、小高坂村とか潮江村とかへ移っていったそうです。この界隈は地震でぼったりしょと水没したので、その後に作られたのが宝永堤。現在の宝永町はその堤の名称に由来する、てな話は、このにっこりでギッチリやっちょりますね。


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