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天神大橋北を下った右には後藤象二郎さんの家がありました〔1209〕2006/08/07

天神大橋北を下った右には後藤象二郎さんの家がありました

2006年8月7日(月)晴れ!暑い!

今日も暑い夏の一日。

気付いてみると、いつの間にか台風が3つ。突然出来ちょりましたですな。このうち高知に影響がありそうながが台風7号。明日の昼、かなりの影響がありそうです。注意せんといかんですね。

さて、ここは今朝の鏡川、天神大橋。南岸のアメリカ梯梧(でいご)の木から、天神大橋北詰を撮影してみました。アメリカ梯梧の赤い花は、6月に一度咲いて散ってしまい、8月頃にご覧の様にもう一度咲きます。南国の雰囲気漂う綺麗な花。

天神大橋北詰を下った右側が「片町」。その片町、橋を下ってしゅっとの右側の家で、天保9年(1838年)、後藤象二郎さんが生まれました。龍馬さんの3歳年下で、後藤さんちのちょびっと北側の家で生まれた板垣退助さんよりは1歳年下。幕末、20歳代で土佐藩の参政吉田東洋さんに大抜擢されて藩の大監察に。土佐勤王党からは恐れられる藩の役人となった訳ですが、その後龍馬さんとは意気投合。山内容堂公に、徳川慶喜将軍への大政奉還建白を出すことを進言、実現させるなど、現実派政治家として維新に大貢献したのであります。ご近所の板垣退助さんとは幼なじみで、明治になってからも中央政界と自由民権運動で一緒に大活躍します。が、自由民権運動、反政府運動の大同団結を目指す彼らに、政府が展開した切り崩しの工作に乗っかって黒田内閣で逓信大臣になってしまい、民権運動家たちからちっくと顰蹙を買うたりしたがですが、図太い象二郎くんは平気やったそうですな。

図太いと言えば象二郎さん、明治4年に東京駿河台に「後藤の西洋館」と呼ばれた豪邸を建設、事業失敗で3ヶ月で手放すも、絵草紙にまで描かれたすんごい家やったそうです。その時、友人の危機に負債返済のため走り回る板垣退助さんの姿がありました。しかし、その姿を見ながら豪遊を繰り返しよったという図太さ。退助くんもあきれがテン向いたそうですね。で、その後、明治16年には高輪の3万坪の土地にこれまたすんごい豪邸をこさえたとのこと。いやいやまっこと。


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